第19章 (第3/3页)
った。お母さんに頼まれて、家から、おつかいカゴなんかもって八百屋さんに行くのなら、恥ずかしくないんだけど。キャベツがあったデブの男の子は、持ちにくそうに、あれこれ、抱え方を研究してたけど、とうとう、「やーだよ。こんなの持ってかえるの恥ずかしいよオー.捨てちゃおうかなあー」といった。校長先生は、みんながグズグズ言ってるらしいって聞いたのか、人参だの、大根だのを、ぶら下げてるみんなのところに来て、いった。「何だ、いやかい?今晩、お母さんに、これを料理してもらってごらん?君達が自分で手に入れた野菜だ。これで、家の人みんなの、おかずが出来るんだぞ。いいじゃないか!きっと、うまいぞ!」そういわれてみると、たしかにそうだった。トットちゃんにしても、自分の力で、晩御飯のおかずを手に入れたことは、生まれて初めてだった。だから、トットちゃんは、校長先生にいった。「私のゴボウで、キンピラをままに作ってもらう!おねぎは、まだわかんないけど……」そうなると、みんなも口々に、自分の考えた献立を先生に言った。先生は、顔を真っ赤にして笑いながら、うれしそうにいった。「そうか!わかってくれたかい?」校長先生は、この野菜で、晩御飯を食べながら、家族で楽しく、今日の運動会のことを話してくれたらいい、と思ってたかも知れない。そして、特に、自分で手に入れた一等賞で、食卓が溢れた高橋君が、「その、喜びを覚えてくれるといい」。背が伸びない、小さい、という肉体的なコンプレックスを持ってしまう前に、「一等になった自信を、忘れないでほしい」と校長先生は考えていたに違いなかった。そして、もしかすると、もしかだけど、校長先生の考えたトモエ風競技は、どれも高橋君が一等になるように、出来ていたのかも、知れなかった……
生徒たちは、校長先生を、「小林一茶!一茶の親父のはげ頭!」などと呼ぶことが、よくあった。それは、校長先生の名前が「小林宗作」であり、また、校長先生が、よく俳句の話をして、中でも素晴らしいのが、「小林一茶」である、といつも言っていたから、生徒たちは、両方を混ぜて、先生をそう呼び、校長先生はもちろんだけど、一茶さんをも、友達のように思っていた。先生は、一茶の句が率直であり、生活の中から出ていることが好きだった。何十万人いたかわからない当時の俳人の中で、誰も真似の出来ない自分だけの世界を作り、こんな、子供みたいな句が作れる人を尊敬もし、うらやましくも思っていた。だから、折りあるごとに、子供たちに一茶の句を教え、子供たちも、みんなそれを暗誦していた。「やせ蛙 まけるな一茶 これにあり」「雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る」「やれ打つな 蠅が手をする 足をする」それから、小林先生が即興に作曲したメロディーで、「われと来て 遊べや 親のない雀」を、みんなで歌うこともあった。