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第21章

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    第21章 (第1/3页)

ただ、トットちゃんにとっては、目を輝かして、相手の指の動きを見ている子供たちが、とても美しいと思え、いつか、お友達になりたい、と、そんな風に考えていたのだった。

    トモエの小林先生の教育方法は、独特であったけど、多分に、ヨーロッパや、そのほかの外国の影響も、受けていた。例えば、リトミックをはじめとする新しいリズム教育。お食事や、お散歩のときなどのマナー.お弁当のときに歌う、 よーく 噛めよ 食べ物を…… は、イギリスの、ロー ロー ロー ユアー ボートの替え歌だったし、その他にも、いろいろあった。ところが、この小林先生の、片腕というか、普通の学校なら、教頭先生に当たる、丸山先生という先生は、全く、ある点、小林先生と違っていた。丸山先生は、名前の丸と同じに、真ん丸い頭で、そのてっぺんには毛が一本もなくて、ツルツルだけど、よく見ると、耳の横から、後ろにかけては、短くて光っている白い毛が、ずーっと生えている、というところや、真ん丸い眼鏡に、真っ赤な頬っぺたという、見たところが、まず小林先生とは違っていたけど、それよりも、時々、ベンケイ シクシク 夜 河をわたるという詩吟を、みんなに聞かせるところが、とても違っていた。本当は、鞭声 粛々 夜 河を過るというのだけれど、トットちゃんたちは、弁慶が、シクシクと泣きながら、夜、川を渡っていくときの歌だと信じていた。それにしても、丸山先生の「ベンケイ シクシクは有名だった。ところで、十二月の十四日のことだった。朝、みんなが学校に集まると、丸山先生は、いった。「今日は、四十七士が討ち入りをした日なので、泉岳寺まで、歩いて、お参りに行きます。お家のほうには、もう連絡してありますから」小林先生は、この丸山先生の、やりたい事に、反対はしなかった。どう思っていたかは、わからないけど、反対しなかった。という事は、「悪くない」と思っていた事になるのだから。それにしても、やっぱり、トモエと四十七士お墓参りと言うのは、なんとなく、取り合わせが面白い、と、トットちゃんのママなどは思っていた。出発の前に、丸山先生は、四十七士の大体の筋を説明した。中でも、四十七士に武具を調達した、天野屋利兵衛という人が、幕府の役人に、どんなに追及されても、「天野屋利兵衛は、男でござる」といって、仇討ちの秘密を、漏らさなかった、というところを、繰り返し、みんなに話した。生徒たちは、四十七士のことは、あまりよくわからなかったけど、授業がなくて、九品仏のお寺より、遠いところまで、お弁当を持って散歩に行く、という事に興奮していた。校長先生や、ほかの先生に、「行ってまいりまーす」をして、全校生徒、五十人が、丸山先生を先頭に歩き出した。そのうち、列の、あっちでも、こっちでも、「天野屋利兵衛は男でござる」と

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