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第15章

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    第15章 (第3/3页)

は何の変哲もない黒い水辺の虫にしか見えなかったが、突撃隊はそれは間違いなく螢だと主張した。螢のことはよく知ってるんだ、と彼は言ったし、僕の方にはとくにそれを否定する理由も根拠もなかった。よろしい、それは螢なのだ。螢はなんだか眠たそうな顔をしていた。そしてつるつるとしたガラスの壁を上ろうとしてはそのたびに下に滑り落ちていた。

     「庭にいたんだよ」

     「ここの庭に?」と僕はびっくりして訊いた。

     「ほら、こ、この近くのホテルで夏になると客寄せに螢を放すだろ?あれがこっちに紛れこんできたんだよ」と彼は黒いボストン?バックに衣類やノートを詰めこみながら言った。

     夏休みに入ってからもう何週間も経っていて、寮にまだ残っているのは我々くらいのものだった。僕の方はあまり神戸に帰りたくなくてアルバイトをつづけていたし、彼の方には実習があったからだ。でもその実習も終り、彼は家に帰ろうとしていた。突撃隊の家は山梨にあった。

     「これね、女の子にあげるといいよ。きっと喜ぶからさ」と彼は言った。

     「ありがとう」と僕は言った。

     日が暮れると寮はしんとして、まるで廃墟みたいな感じになった。国旗がポールから降ろされ、食堂の窓に電気が灯った。学生の数が減ったせいで、食堂の灯はいつもの半分しかついていなかった。右半分は消えて、左半分だけがついていた。それでも微かに夕食の匂いが漂っていた。クリーム?シチューの匂いだった。

     僕は螢の入ったインスタント?コーヒーの瓶を持って屋上に上った。屋上には人影はなかった。誰かがとりこみ忘れた白いシャツが洗濯ロープにかかっていて、何かの脱け殻のように夕暮の風に揺れていた。

     僕は屋上の隅にある鉄の梯子を上って給水塔の上に出た。円筒形の給水タンクは昼のあいだにたっぷりと吸いこんだ熱でまだあたたかかった。狭い空間に腰を下ろし、手すりにもたれかかると、ほんの少しだけ欠けた白い月が目の前に浮かんでいた。右手には新宿の街の光が、左手には池袋の街の光が見えた。車のヘッドライトが鮮かな光の川となって、街から街へと流れていた。様々な音が混じりあったやわらかなうなりが、まるで雲みたいにぼおっと街の上に浮かんでいた。

     瓶の底で螢はかすかに光っていた。しかしその光はあまりにも弱く、その色はあまりにも淡かった。僕が最後に螢を見たのはずっと昔のことだったが、その記憶の中では螢はもっとくっきりとした鮮かな光を夏の闇の中に放っていた。僕はずっと螢というのはそういう鮮かな燃えたつような光を放つものと思いこんでいたのだ。
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