第83章 (第3/3页)
あのときのことを考えています」
僕は手紙を封筒に入れて切手を貼り、机の前に座ってしばらくそれをじっと眺めていた。いつもよりはずっと短い手紙だったが、なんとなくその方が相手に意がうまく伝わるだろうという気がした。僕はグラスに三センチくらいウィスキーを注ぎ、それをふた口で飲んでから眠った。
*
翌日僕は吉祥寺の駅近くで土曜日と日曜日だけのアルバイトをみつけた。それほど大きくないイタリア料理店のウェイターの仕事で、条件はまずまずだったが、昼食もついたし、交通費も出してくれた。月?水?木の遅番が休みをとるときは――彼らはよく休みをとった――かわりに出勤してくれてかまわないということで、それは僕としても好都合だった。三ヶ月つとめたら給料は上げる。今週の土曜日から来てほしいとマネージャーが言った。新宿のレコード店のあのろくでもない店長に比べるとずいぶんきちんとしたまともそうな男だった。
緑のアパートに電話するとまたお姉さんが出て、緑は昨日からずっと戻ってないし、こちらが行き先を知りたいくらいだ、何か心あたりはないだろうかと疲れた声で訊いた。僕が知っているのは彼女がバッグにパジャマと歯ブラシを入れていたということだけだった。
水曜日の講義で、僕は緑の姿を見かけた。彼女はよもぎみたいな色のセーターを着て、夏によくかけていた濃い色のサングラスをかけていた。そしていちばんうしろの席に座って、前に一度見かけたことのある眼鏡をかけた小柄の女の子と二人で話をしていた。僕はそこに行って、あとで話がしたいんだけどと緑に言った。眼鏡をかけた女の子がまず僕を見て、それから緑が僕を見た。緑の髪は以前に比べるとたしかにずいぶん女っぽいスタイルになっていた。いくぶん大人っぽくも見えた。
「私、約束があるの」と緑は少し首をかしげるようにして言った。
「そんなに時間とらせない。五分でいいよ」と僕は言った。
緑はサングラスをとって目を細めた。なんだか百メートルくらい向うの崩れかけた廃屋を眺めるときのような目つきだった。「話したくないのよ。悪いけど」
眼鏡の女の子が<彼女話したくないんだって、悪いけど>という目で僕を見た。
僕はいちばん前の右端の席に座って講義を聴き(テネシー?ウィリアムズの戯曲についての総論。そのアメリカ文学における位置)、講義が終わるとゆっくり三つ数えてからうしろを向いた。緑の姿はもう見えなかった。
四月は一人ぼっちで過ごすには淋しすぎる季節だった。