第95章 (第3/3页)
、体を何度か小さく震わせていた。
「私もう一生これやんなくていいわよね?」とレイコさんは言った。「ねえ、そう言ってよ、お願い。残りの人生のぶんはもう全部やっちゃったから安心しなさいって」
「誰にそんなことがわかるんですか?」と僕は言った。
*
僕は飛行機で行った方が速いし楽ですよと勧めたのだが、レイコさんは汽車で行くと主張した。
「私、青函連絡船って好きなのよ。空なんか飛びたくないわよ」と彼女は言った。それで僕は彼女を上野駅まで送った。彼女はギター?ケースを持ち、二人でプラットフォームのベンチに並んで座って列車が来るのを待っていた。彼女は東京に来たときと同じツイードのジャケットを着て、白いズボンをはいていた。
「旭川って本当にそれほど悪くないと思う?」とレイコさんが訊いた。
「良い町です」と僕は言った。「そのうちに訪ねていきます」
「本当?」
僕は肯いた。「手紙書きます」
「あなたの手紙好きよ。直子は全部焼いちゃったけれど。あんないい手紙だったのにね」
「手紙なんてただの紙です」と僕は言った。「燃やしちゃっても心に残るものは残るし、とっておいても残らないものは残らないんです」
「正直言って私、すごく怖いのよ。一人ぼっちで旭川に行くのが。だから手紙書いてね。あなたの手紙を読むといつもあなたがとなりにいるような気がするの」
「僕の手紙でよければいくらでも書きます。でも大丈夫です。レイコさんならどこにいてもきっとうまくやれますよ」
「それから私の体の中で何かがまだつっかえているような気がするんだけれど、これは錯覚かしら?」
「残存記憶です、それは」と僕は言って笑った。レイコさんも笑った。
「私のこと忘れないでね」と彼女は言った。
「忘れませんよ、ずっと」と僕は言った。
「あなたと会うことは二度とないかもしれないけれど、私どこに行ってもあなたと直子のこといつまでも覚えているわよ」
僕はレイコさんの目を見た。彼女は泣いていた。僕は思わず彼女に口づけした。まわりを通りすぎる人たちは僕たちのことをじろじろとみていたけれど、僕にはもうそんなことは気にならなかった。我々は生きていたし、生きつづけることだけを考えなくてはならなかったのだ。
「幸せになりなさい」と別れ際にレイコさんは僕に言った。