第25章 (第3/3页)
のスリキレ」なんていったら、とたんに忘れちゃうに決まっているし、「よいしょ」なんて水たまりを飛び越えたら、もう、わかんなくなっちゃうから、とにかく口の中で、繰り返しているのが一番いいと考えたのだった。ありがたいことに、電車の中でも誰にも話しかけられず、なるたけ面白そうなことも見つけようとしなかったので、「あれ?」と思うことも起らないで済んで、家に帰る駅で、電車を降りた。でも駅を出るとき、顔なじみの駅のおじさんが、「おかえり」といったとき、もう少しで、「ただいま」といおうと思ったけど、いっちゃうと、そのあとから、「ただいまスイサン」なんて、なっちゃいそうだったんで、右手でバイバイをして、左手で口お押さえて、走って家まで帰ったのだった。帰るなり、トットちゃんは、玄関でママに、すごい声で叫んだ。「トドロキケイコクハンゴウスイサン!」一瞬ママは、四十七士の討ち入りか、道場破りの真似かと思った。でも、すぐママには、わかった。「等々力渓谷、飯盒炊爨!」等々力というのは、トットちゃんの小学校のある自由が丘から三つ先の駅で、そこに、東京名所のひとつである、滝と小川とか林の美しい“等々力渓谷”と呼ばれる所があり、そこで、ご飯を炊いて食べるのだ、と理解したのだった。(それにしても)とママは思った。(こんなに難しい言葉を、よく憶えること。子供というのは、自分に興味のある事なら、しっかり憶えるものなのね)トットちゃんは、やっと難しい言葉から解放されたので、次から次と、ママに話しかけた。今度の金曜に、朝、学校に集まって行く。もって行くものは、お茶碗と、おわんと、お箸と、お米を一合。「一合っていうのは、お茶碗に、ちょうど、一杯くらいだって、そして、炊くと、お茶碗二杯くらいになるんだって」と忘れずに、付け加えた。それから、豚汁を作るので、中に入れるお肉とか、お野菜。それから、おやつも、少し持って行っていい。その日から、トットちゃんは、台所で仕事をするママに、ぴったりくっついて、包丁の使い方、おなべの持ち方、ご飯のよそい方、などを研究した。ママが働いているのを見るのは、とても気持ちがよかったけど、中でもトットちゃんの気に入ったのは、ママが、おなべのふたなどを手に持って、「あちちちち……」なんていったとき、その手を、急いで耳たぶに持っていくことだった。「耳たぶが冷たいからよ」とママは説明した。トットちゃんは、この動作が何よりも、大人っぽく、台所の専門家がすることのように見えたから、(私も、ああいう風に、トドロキケイコクハンゴウスイサンのときには、やしましょう)と決めた。いよいよ、その日が来た。電車から降りて、みんなが、等々力渓谷に到着すると、林の中で、校長先生は生徒を見た。高い木の上から差し込む光の中で、子供たちの顔はピカピカと光って、可愛かった。