第49章 (第3/3页)
よ」
「僕は何も無駄になんかしてない」
「だって私は永遠に回復しないかもしれないのよ。それでもあなたは私を待つの?十年も二十年も私を待つことができるの?」
「君は怯えすぎてるんだ」と僕は言った。「暗闇やら辛い夢うやら死んだ人たちの力やらに。君がやらなくちゃいけないのはそれを忘れることだし、それさえ忘れれば君はきっと回復するよ」
「忘れることができればね」と直子は首を振りながら言った。
「ここを出ることができたら一緒に暮らさないか?」と僕は言った。「そうすれば君を暗闇やら夢やらから守ってあげることができるし、レイコさんがいなくてもつらくなったときに君を抱いてあげられる」
直子は僕の腕にもっとぴったりと身を寄せた。そうすることができたら素敵でしょうね」と直子は言った。
我々がコーヒー?ハウスに戻ったのは三時少し前だった。レイコさんは本を読みながらFM放送でブラームスの二番のピアノ協奏曲を聴いていた。見わたす限り人影のない草原の端っこでブラームスがかかっているというのもなかなか素敵なものだった。三楽章のチェロの出だしのメロディーを彼女は口笛でなぞっていた。
「バックハウスとベーム」とレイコさんは言った。「昔はこのレコードをすれきれるくらい聴いたわ。本当にするきれっちゃたのよ。隅から隅まで聴いたの。なめつくすようにね」
僕と直子は熱いコーヒーを注文した。
「お話はできた?」とレイコさんは直子に訊ねた。
「ええ、すごくたくさん」と直子は言った。
「あとで詳しく教えてね、彼のがどんなだったか」
「そんなこと何もしてないわよ」と直子が赤くなって言った。
「本当に何もしてないの?」とレイコさんは僕に訊いた。
「してませんよ」
「つまんないわねえ」とレイコさんはつまらなそうに言った。
「そうですね」と僕はコーヒーをすすりながら言った。
夕食の光景は昨日とだいたい同じだった。雰囲気も話し声も人々の顔つきも昨日そのままで、メニューだけが違っていた。昨日無重力状態での胃液の分泌について話していた白衣の男が僕ら三人のテーブルに加わって、脳の大きさとその能力の相関関係についてずっと話していた。僕らは大豆のハンバーグ?ステーキというのを食べながら、ビスマルクやナポレオンの脳の容量についての話を聞かされていた。