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第72章 (第1/3页)
「でもね、ワタナベ君、私はそんなに頭の良い女じゃないのよ。私はどっちかっていうと馬鹿で古風な女なの。システムとか責任とか、そんなことどうだっていいの。結婚して、好きな人に毎晩抱かれて、子供を産めばそれでいいのよ。それだけなの。私が求めているのはそれだけなのよ」
「彼が求めているのはそれとは全然別のものですよ」
「でも人は変るわ。そうでしょう?」とハツミさんは言った。
「社会に出て世間の荒波に打たれ、挫折し、大人になり……ということ?」
「そう。それに長く私と離れることによって、私に対する感情も変ってくるかもしれないでしょう?」
「それは普通の人間の話です」と僕は言った。「普通の人間だったらそういうのもあるでしょうね。でもあの人は別です。あの人は我々の想像を越えて意志の強い人だし、その上毎日毎日それを補強してるんです。そして何かに打たれればもっと強くなろうとする人なんです。他人にうしろを見せるくらいならナメクジだって食べちゃうような人です。そんな人間にあなたはいったい何を期待するんですか?」
「でもね、ワタナベ君。今の私には待つしかないのよ」とハツミさんはテーブルに頬杖をついて言った。
「そんなに永沢さんのこと好きなんですか?」
「好きよ」と彼女は即座に答えた。
「やれやれ」と僕は言ってため息をつき、ビールの残りを飲み干した。「それくらい確信を持って誰かを愛するというのはきっと素晴らしいことなんでしょうね」
「私はただ馬鹿で古風なのよ」とハツミさんは言った。「ビールもっと飲む?」
「いや、もう結構です。そろそろ帰ります。包帯とビールをどうもありがとう」
僕が立ち上がって戸口で靴をはいていると、電話のベルが鳴りはじめた。ハツミさんは僕を見て電話を見て、それからまた僕を見た。「おやすみなさい」と言って僕はドアを開けて外に出た。ドアをそっと閉めるときにハツミさんが受話器をとっている姿がちらりと見えた。それが僕の見た彼女の最後の姿だった。
寮に戻ったのは十一時半だった。僕はそのまますぐ永沢さんの部屋に行ってドアをノックした。そして十回くらいノックしてから今日は土曜日の夜だったことを思いだした。土曜日の夜は永沢さんは親戚の家に泊まるという名目で毎週外泊許可をとっているのだ。
僕は部屋に戻ってネクタイを外し、上着とズボンをハンガーにかけてパジャマに着がえ、歯を磨いた。そしてやれやれ明日はまた
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